翻訳と辞書
Words near each other
・ ユーリーズナイト
・ ユーリード
・ ユーリードシステムズ
・ ユーリー・アイヘンワリド
・ ユーリー・アレクサンドロヴィチ・ビリビン
・ ユーリー・アンドルホーヴィチ
・ ユーリー・アンドロポフ
・ ユーリー・アンドローポフ
・ ユーリー・イゴレヴィチ
・ ユーリー・イヴァノヴィチ
ユーリー・イヴァノヴィチ (ドミトロフ公)
・ ユーリー・ウサチェフ
・ ユーリー・ウラジミロヴィチ
・ ユーリー・ウラジミロヴィチ (ピンスク公)
・ ユーリー・ウラジミロヴィチ (ムーロム公)
・ ユーリー・ウラジーミロビッチ・アンドロポフ
・ ユーリー・エハヌロフ
・ ユーリー・エハヌロワ
・ ユーリー・オヌフリエンコ
・ ユーリー・カリャーキン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ユーリー・イヴァノヴィチ (ドミトロフ公) : ミニ英和和英辞書
ユーリー・イヴァノヴィチ (ドミトロフ公)[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ユーリー・イヴァノヴィチ (ドミトロフ公) : ウィキペディア日本語版
ユーリー・イヴァノヴィチ (ドミトロフ公)[こう]
アンドレイ・イヴァノヴィチ(Андрей Иванович / Andrey Ivanovich,1480年1536年)は、イヴァン3世の三男、母はモレアス専制公ソマス・パレオロゴスの娘でビザンツ皇族出身のゾエ・パレオロギナ(ソフィヤ)。ドミトロフなどを分領として与えられた。
兄ヴァシーリー3世が大公位を継承した時、ユーリーは24歳だった。他の兄弟たちと同じく、彼もまた大公に世継ぎが出来るまでは結婚を禁じられた。しかし大公のお気に入りだった末弟アンドレイとは違い、ユーリーには大公家に王子が生まれた後も結婚の許しが下りることはなかった。1533年ヴァシーリー3世が亡くなると、彼は摂政団である貴族会議に野心を疑われ、逮捕・投獄された。そして3年後の1536年、おそらく餓死により没した。
== 参考文献 ==

*R.G.スクルィンニコフ著 / 栗生澤猛夫訳『イヴァン雷帝』成文社 1994年 ISBN 4-915730-07-7



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユーリー・イヴァノヴィチ (ドミトロフ公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.